note更新しました。noteはこちらからどうぞ。
せっかく書いたのでこちらにも少し加筆修正して載せておきます。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
これはNHKで放送されている「チコちゃんに叱られる!」という番組の「好奇心旺盛でなんでも知っている5歳」少女・チコちゃんの決め台詞。
はじめてみたとき、胸に刺さりました。
「あぁ、僕はぼーっと生きてきた側の人間なのかもしれない・・・」
ですが、妻はいつも疑問を持っていて、それが当然かのように話します。
「クリスマスのディナーは24日と25日の夜、どちらに食べるものなのか」
「なんで男の人ってかっこつけたがるの?」
こういう些細な疑問が日常的に湧いてくるらしいです。
でも、そもそも“疑問を持つ”ということが僕には難しくて、
疑問に思っていることがあっても、“たぶんこうだろう“と思い込んで、考えに蓋をしてしまっているんです。
よく子供は「なんで?」と疑問を持つものですが、
大人になるにつれて、知識や経験が豊富になったりすることで、疑問を持つということ自体なくなってしまいます。
日々生活する中で、疑問を持たないことが当たり前となり、考えるという習慣がなくなり、うまく説明することができなくなったり、何かを決断しないといけない時、壁にぶつかった時、うまく自分で判断できなくなってしまいます。
だから、考えること、疑問をもつことって生きていくうえですごく大事なのに、大人になるにつれて考えることを避けてしまうって危なくないですか?
もっと早くにこの重大性に気づいてたらよかったと思ったので、noteにアウトプットしておこうと思います。
疑問を持つにはどうすればいいのか?
でも、疑問を持つことに慣れていない僕みたいな人間はどうしたら疑問を持つことができるのか。
考えてみました。
たとえば、僕が最近よく「疑問を持ちやすいな」と感じたものは映画を見ることです。
なんとなくぼけーっと見ていたのをやめて、
疑問を持つことを意識しながら見てみると、すぐに「なんでだろう」って思えるようになりました。
映画は割と「なんでそんなことするんよ!」って思わずツッコミたくなる要素が多いのかなと思います。
映画って奇天烈な行動するキャラクターが多いじゃないですか。
主人公の心情とか、監督の意図とかを考えるきっかけになると思います。
映画をみたあとにしてほしいのが、
アマゾンプライムで評価してる人の感想を見たりすること。
たくさんの考察が見れて、映画で感じた疑問も腑に落ちることが多いです。
あとはヤフーニュースのコメント欄とかも見たりしてると面白いです。
「Peachが定額乗り放題を検討」というニュースでは、
「サブスクか~自分は利用しないかな」という小学生レベルの感想しか出てこなかったのですが、「ちゃんと予約できるか心配」「ほかの事例では~」とたくさんの意見を見ることができて、自分の止まっている思考の先の意見も見ることができます。
「へぇ~」で思考を止めるな!
で、ここで「へぇ~」で思考が止まってるとダメなのかなと。
ここまではあくまで「考えるきっかけ」を与えてるだけで、
結局「自分がどう思うか」ということを言えるようにならないと意味がないのではないかと思うのです!
己の脳みそをフル回転させて「自分はこう思う」という意見を出すこと、「アウトプット」することが「考える」ということではないでしょうか。
映画の考察しかり、ヤフコメしかり、
「疑問を持って、考えて、自分の意見を言う」この流れこそが「考える」ということなのではないかと思っています。
自分の考えをアウトプットすることで、より自分の記憶に定着し、さらに質問されることで新しい発見があったり、疑問の輪郭も固まってきます。
以前まで「考えること=ググる」ことだと思っていたことがあるのですが、ググる行為はあくまで情報収集の手段であり、攻略本を先に見てゲームを進めるようなものではないかと思います。
↓
納得
↓
自分の意見を入れてみる
↓
このループを積み重ねる
↓
なんとなくわかりそうな疑問も解決できるようになってくる
こうすれば徐々に自分の疑問も解決できて賢くなれるのではないかなと思います。
まとめ
つまり、「考えること」とは疑問を持ち、考えて、自分はどう思うか意見すること。だと考えます。どうでしょうか?皆さんも考えてみてはいかがでしょうか?
・・・という風に、こんな感じで
「考えるとはなにかという疑問があり、考えて調べて、自分の意見を入れて、noteにアウトプットする。」
ということをやってみました。
これが僕の考えた「考えるとはなにか」でした。
ちなみに「男の人がかっこつける」理由は
「かっこよく見られたいからや!」←あ・・・この人考えてない
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